ーー鉄を自在に操る砲丸作りの職人、辻谷政久さん、彼の技術をまねできる人は世界にただの1人も居ません。
ーーかつての日本は物づくり大国と呼ばれ、自分の技術1本で世界と向き合う人々が大勢、居ました。しかし、今、その地盤は揺らいでいます。
ーー日本がもう1度、輝くために、これからの日本に必要なこと、それはマエストロ技術。
菅原:辻谷工業の辻谷さんっていうのは既に日本じゅうで有名なんですね。世界のオリンピックで3回連続、金、銀、銅を取られたことでも分かると思うんですが、その後ろにあるのはやはり科学であり、科学を極めるための頭の使い方だったり、それから、その頭の使い方で科学と物理と技術の3つをきっちりと自分の視野でとらえて、それを1つの製品作りの中に生かされたんだと思うんですけど、その辺りの具体的な話を私はぜひ、聞きたいなと思うんです。
ーー今日のゲストは砲丸作りの名人、辻谷政久さん。世界じゅうのトップアスリートが集まるオリンピックでは辻谷さんの砲丸を使った選手がアトランタ、シドニー、アテネと3大会連続して、金、銀、銅を独占しました。
今回はその独自の砲丸作りから職人としての心構えやこれまでの道のり、そして、日本の物づくりの未来についてお話を伺っていきます。
ーー砲丸投げ、重さ、およそ7.2キログラムの鉄の固まりをいかに遠くまで投げられるかを競う競技。
現在の世界記録はアメリカのランディー・バーンズ選手が持つ23メートル12。これは大体、6階建てのビルの高さと同じ距離に当たります。
そして、この砲丸、実はボーリングのように自分のボールを使うことはできません。オリンピックでは審査で認められた数社の砲丸が用意され、その中から選手は自分に合った砲丸を選んで投げるのです。そして、驚くことに、上位に入る選手のほとんどが辻谷さんが作った砲丸を手にします。もちろん、結果もすごい。
1996年のアトランタ、2000年のシドニー、2004年のアテネと3大会連続で辻谷さんの砲丸が金、銀、銅メダルを独占しました。ここで疑問が浮かびます。どうして、ほとんどの選手が辻谷さんの砲丸を選ぶのでしょうか。その理由はただ1つ。辻谷さんの作る砲丸は重心がぴったり真ん中にあるんです。