トップ > 小川 意房さん(2010年3月14日・3月28日放送)

第14回 小川 意房さん4

(2010.6.13,6.27放送)

ーー困っている人の立場に立ち、お年寄りの生活を明るく快適にすることに全精力をかけてきた小川さん。そんな開発の舞台裏を見せていただきました。広島県呉市、瀬戸内海を望むこの会社で、小川さんの開発は行われています。たくさんの人をハッピーにしたいという思いから、会社の名前は、ハッピーおがわ。従業員25名が介護用品を製作・販売しています。そんな小川さんが開発した介護用品はさまざまで、腰回りが広く、ワンタッチで簡単にオープンできるパンツや、弱い力や片手でも楽に着脱できるマフラー、そして、いざというときに役に立つ、安全背負い具。体を包み込むように装着できるので、背負うほうも両手が自由に使え、双方とも楽に移動ができる商品です。

ーーそんな、今までにない発想の商品をつくる小川さん。そのアイデアは、一体どこから生まれるのでしょうか。その答えは小川さんの自宅にありました。小川さんは毎朝5時に起き、自宅のとある場所で開発のアイデアをひねり出します。その場所とは、なんとトイレ。

小川:いろんなことをするんですね、ものをつくったり、書いたり。

ーー小川さんは、今から14年前、直腸に末期のがんが見つかりました。自身の人工肛門の洗浄のため、朝の1時間半、この場所に居ることを余儀なくされたのです。しかし、不自由なその時間をアイデアを生み出す場所に変えた、その発想の転換こそ、小川さんの開発の根源だったんです。

小川:自分が今までこうだったものが、ここの辺まで分かるというか、そうすると、だんだん恥ずかしくなってくるね、今までおれがつくったものはなんだったのよと。見える部分しか見てなかった。見えない部分がどれだけ深いか、それがどれだけ大変なことかっていうのが、全然分からなかった。

ーー自らに訪れた困難を開発の原動力に変え、人のためになる商品づくりに反映してきた小川さん。そんな彼だからこそ、床ずれに悩む高齢者を救うことができたのかもしれません。しかし、それに至るまでには、素材の開発、モニター実験、科学的な根拠を裏付けるための臨床実験と、その開発費は億単位に膨れ上がりました。そんな小川さんを待っていたのは、多額の借金。そうまでして開発を続けた小川さんの強い信念とは、なんなのでしょうか。

小川:まさに小さな小舟でクジラを捕りにいったような例えになるんですけど、先が見えなかったですね。もうとにかく、これはおむつをした人とか、大変困ってる人にとって、とてもハッピーなものになるしというの、自分がそれを体感したわけですから、間違いなくそうなるだろうということで、お金のこと考えてたら、まったくやらなかったでしょうね、ないんですから。どんどんどんどん費用がかかってくるんだけども、これはもう進んだんですから、死んでもやろうと思ってるんですから、死んだようなかたちの私が、死んでもやろうというわけですから、これはもう絶対やると。

菅原:そういう意味では、ご自身の病気をした後、ハッピーそよかぜが完成されたわけですよね。

小川:そうです。

菅原:そしたら、ご自身が寝たときに、一番幸せになりました?

小川:幸せでしたね。寝れなかったんですからね。まったくベタッと寝る、おなかとお尻に両方穴が開いてるわけですから、こう寝れないということになると、側位ですね。これは、皆さん、たぶん経験あるかと思うんです。これしか寝れないとなると、とてもしびれるんですね。なおかつ、今までのごく普通の布団に寝てましたから、それですと、体液が流れてしまうので、防水シート敷かれるんです。これはまさに不快感の大サービスみたいなもんですね。寝れませんね。これが新しい高反発のハッピーの素材で寝れたわけですから、こんなうれしいことはなかったですね。

菅原:ぐっすり眠るということが初めてできたんですね。

小川:そうですね。どんどん元気になりましたね。

菅原:その後も、その商品がバカ売れするっていう状態に行くには、ずいぶん時間かかられたでしょう?

小川:これは本当に時間かかりました。宣伝力もないし、ものをたくさん仕入れるということもできませんし、ものがものだけに、非常に高価ですし、だから、もう本当に2歩進んで3歩下がるのか、3歩進んで2歩下がるのか、とにかく一進一退で、そのことを礎に、さらなるいいものをつくろうよというのが、今のハッピーのような気がします。

ーーそんな小川さんの熱い気持ちがこもったマットレス。利用している方々はどう感じているのか、実際にハッピーそよかぜを使っている方々の生の声を聞きました。

利用者:欲張ってるね。

利用者:もっともっと欲しいですけれども、やっぱりこれ、高いんで。