雨宮:機械を納入したって信用がないじゃない。じゃ、信用得るまでにはどうするんだろう。おれがやるしかねえなと。おれが乗ってやるって。おれがやってみせるから、おれが安心だと思ったら、安心してくれと。おれがやるからって。やっぱり、おれがやるからがポイントだったね、こんだけのシェアを。他のメーカーってのは、やらないしょ。皆さん乗ってくださいってやるわけでしょ。おれは違って、おれがやるから見てろと。ドーンとやるわけだね。そこがやっぱり信頼に。
こいつは本当にこの国を良くしようというように、たぶん思ったと思います。そこが今、世界でトップシェアになろうとしてるわけです。
結果、雨宮さんの機械は、カンボジアに39台導入され、これまでに雨宮さんが除去した地雷の数は、46万個を超えています。
2007年に入ると、地雷除去をしながら、同時に農地復興も行える、すきを装備した地雷除去機を新たに開発。この機械には、地雷を除去した後の荒れ地を、実り豊かな農地に変えたいという雨宮さんの強い願いが込められています。
地雷原が畑に生まれ変わり、そこには子どもたちの笑顔があふれていました。
1号機を納入してから12年、かつての地雷原は、見渡す限りの畑に変わり、人々が生きていく上で欠かせない実りの大地となっています。
雨宮:人間と生まれた以上、彼らにも生きる権利があるはずですよ。僕らも生きる権利ある。これを、われわれの技術力で、生きられる場をつくってあげたら、格好良く見られるんじゃないかなと。日本人ってすげえなって思ってくれるよね。
おれ雨宮だけじゃなくて、日本人ってすごいなって。日本の文化、技術力を、彼らのために提供してくっていうことが、おれは日本の発展になると思ってるね。
雨宮さんの地雷除去機は、現在、世界9カ国で86台が稼働。平和な世界を取り戻す雨宮さんの命懸けの戦いは、今も続いています。
菅原:すごい感動的ですね。
雨宮:そうですか。ありがとうございます。
菅原:ラストサムライみたいな感じですね。自分の命を懸けて、仕事を達成するっていう、その命懸けっていうところが、なかなか今、ないですよね。
雨宮:人生、いつか死ぬからね。一生のうちに命を懸けてもいいんじゃないかな、いうように思ってますよね。
菅原:例えばアンゴラとか、内戦が年がら年中起こってるところってのは、命懸けで、地雷除去行くまでに殺されちゃう可能性がないですか。
雨宮:それは、アフガニスタンでありましたよ。タリバンに捕まったこともあるし。
雨宮:ジャララバードで。2000年のときですね。捕まったっていうより、おまえ何しに来たんだと、銃向けられて、連れてかれたね。
菅原:どっか連れてかれたんですか。
雨宮:連れてかれた。だけど、おれはこの国の復興のために来たんだと。当時、その機械を持ってったのが、この機材なんですね。この機材をジャララバードに持ってったときに、訓練してるときに、おまえ、何しに来たんだといって、ちょっとこっち来いと。そのとき、おれは殺されると思ったね。
菅原:9.11前だったから、タリバンも、その後のタリバンとは違ってたんですね。99年に第1号機を作るまで、とっても苦労されたみたいですけど、この苦労っていうのは、そのとき死んじゃったら終わりですよね。どういうふうに考えられました?