雨宮:自分が、今の地雷除去機を作るにあたって、また地雷のことも、自分も知らないんですよ。94年に、おばあさんからの、この国助けてくださいから始まったわけなんですけど、95年、6年は、自分も地雷の火薬のことも分かんないし、実際に除去するにはどうしたらいいかも分かんないし、これはカンボジア渡らなきゃいけないと。カンボジアへ渡って、たまたまそのときに、ラモンターニ少佐って、カナダの陸軍の少佐が、ちょうどカンボジアの地雷除去の指導に来てたんですね。ハロー、ミスターアメミヤ、おまえよく来たな、おまえ、地雷のこと知らないだろうといって、バッタンバン州へ連れていかれまして、この国は、要するに、こういうふうにジャングル化してしまうと。
雨宮:当時は、埋めるときは木はないけど、木を取り除くに、70パーセントが、動力として、時間かかる。そして非常に危険である。それをおまえ、まず考えろと。まずは木を切ることからいけ、次に地雷の除去を考えろという中で、やっぱり現地へ入って、実際に地雷の除去、取ってる人、またそこに、実際に地雷原に住んでる人。私はそこに住居を共にしたことが、非常に……。
菅原:どのくらいいらしたんですか。
雨宮:居るときは3カ月ぐらい居ましたね。そこでいろんなことを学んで。現地の、実際地雷除去してる人は命懸けでやってるわけですね。アメミヤ、木を切るときに、地雷にどうしても圧力かけて、地雷取ってる人が死んでしまう。もう1つは、地雷除去してると、毒蛇とかハブにかまれたり、また、マラリヤになる、天狗熱、黄熱病になるような蚊に刺されて、多くの地雷除去人が亡くなってるんだと。だから、離れたとこで、何かできないか。これが1つです。
雨宮:もう1つは、そこに住んでる人々が、結局地雷原の中に住まざるを得ない。そこで食べていかなきゃいけない。農地がない。われわれは、地雷を除去、早く取って、農地を作ってく。そして、そこを耕して、家族を食べさしていきたいんだということで、地雷除去をできる機械と、農地の復興もできるような機械をミックスして、地雷除去機ってものを、そこのときに考案したんですね。
菅原:社長がボランティアにのめり込むと、たいてい会社つぶれるんですけど、それ、つぶさなかったってのはすごいことですね。
雨宮:やっぱり社長、命懸けてやってるなってことは、彼らも思ったんじゃないですかね。
菅原:そのときは、給料遅配とかなくて頑張れたんですか、皆さんには。
雨宮:地雷機にお金をものすごく掛けましたから。
菅原:10億円以上?
雨宮:10億円まで掛からない。9億5,000万ですね。
菅原:でも10億円ぐらいですね。
雨宮:だから、自分の財産も投げうったり、いろいろしましたよ。
菅原:マエストロの技術、匠の技っていうものを、どんどん、ものすごく、いろんな、鉄を含んだ合金を開発するっていうことは、結局、通常のショベルカーにも生かされていくわけですよね。
雨宮:そうです。いろんな鉱山のある程度そういう部分にも使えるし、いろんなとこの軍からも、そういう部分を欲しいといってきますけど、自分は、軍に売るってのは抵抗ありますから、平和維持活動に使う。平和に対して人道的に使うものであれば供給できるけど、やっぱりありますよ、そういうものを欲しがる国ってのはね。だけど、それはちょっと売ることはできないですよね。